ちょっと前に書いた「暗闇」と「気配」の元ネタ、ゆえに基本的には同じ。
同じネタで3本も書くとは・・・いや、脳内を延々とループしていたもので、つい。
でもこっちだったら「気配」は無かった。
背中
ガタガタと、窓が鳴る。
いつもの事だが、安普請の宿の窓は、決して疲れた旅人を安眠させてはくれない。
特に特徴も無い町の、旅人相手の平均的な安宿の狭いベッドの上で、長い栗色の髪をした若い女は、夜中に目を覚まして
しまったまま、何時まで経っても訪れる事無い睡魔を恨みたくなってきた。
別に彼女は、もう少し値の張る宿に泊まったところで、痛むような貧相な財布の中身をしている訳ではない。何故かそのあたりに
お金を使う気になれないのは、庶民の身に染み付いた貧乏性というやつか。いやいや、それならその分で美味しい物を自分と
相棒の胃袋にあげた方が、ずっと有意義であるという考えの持ち主なのであろう。
窓から月明かりが差し込んでいる。風は強いが、特に天気に影響してはいないようだ。
彼女からは、障害物があって見ずらいが、ぼんやり月明かりを眺めながら考える。
雨が降ると出立したくなくなる。だからと言って、同じ場所に長く滞在するのも退屈だ。
最近は、夜の空気が冷え込んできた。もうじき冬になるだろう。冬になれば必然的に寒くなり、そうなると誰でも動きが鈍る。
自分達の移動距離も短くなるし、何より悪巧みをする人間も動かなくなるのか、主に物騒な事を生業にしている身としては、
稼ぎが激減してしまう。
今年の冬は、いっそどこかの町で小さな家でも借りて、しばらく住み着いてしまうか、などとも思う。宿に泊まり続けるより、
そちらの方が安上がりだし、何より、それでも一向に構わない関係になってしまった、自分と窓の間にそびえる障害物、隣で眠る男の
大きな背中を2、3発叩きたい気持ちになったが、目を覚まされても面倒なので、止めておく事にした。
もう2年以上一緒に旅をしているが、こんな関係になったのは、ごく最近だった。お互いつかず離れずハッキリさせずに曖昧なまま、
相棒として過ごし続けた。その筈だったのだが、どうした訳か、ちょっとしたきっかけで、いともあっさりと一線を越えてしまった。
そうなれば、別々に部屋を取るのも返って不自然で、二人部屋がなければ、今夜のように狭いベッドに二人で並んで寝る派目になる。
別に狭いのが嫌とか言うわけではなく、勿論、一緒の部屋に不満が有る訳ではない。そう、しいて言えば、この背中が気に入らない。
あまり気に入らないので、ちょっと前に男の背中を蹴飛ばしてやった事もあった。不安定な横向きでベッドの端に寝ていた男は、
そのまま、ベッドから落ちた。
彼女が何をしても、比較的対応が甘い男も、さすがに不機嫌になったので、変な夢をみて寝ぼけたのだと、ごまかしたが、
思い切り不審そうな顔をされてしまった。さすがにまずいと、ちょっと反省したりもした。
それでも翌日には、髪が邪魔だのなんだのと難癖をつけていた。そんなことを思い出しながら、目の前にある、男の長い髪を束ねた
太い金色の三つ編みを手に取る。結果としては、寝る前に男の髪を編んでやる事になり、手間が増えただけだった。
編んだ髪をもてあそびながら、男の呼吸に耳を傾けるが、特に乱れた様子はない。以前ならとっくに目を覚ましている。
もう、お互いのちょっとした動きぐらいでは、目を覚まさなくなった。
わかってはいる、ようは狎れ合いなのだ。だから眠る前に男の髪を編んでいる時に、言いたい事があるなら、はっきり言えと言われたが、
なんでもないと返したし、男もそれ以上聞いてこなかった。もっとも、口が裂けても、こっちを向いて欲しいなどと、言えるはずもない。
まして、その理由を知っているのだから。
彼女に背を向けて、月の見える窓と部屋の扉を見張る男が、ベッドサイドに立て掛けた剣が使われた事は、今のところないが、
今後もないとは言い切れない。
男の髪を引いて、こっちを向かせたくなったが、とりあえず我慢した。
やっぱり冬になったら家を借りよう。寝室には、窓か扉が二つ以上ある部屋を当てることにする。それで男が向いた方に寝る。
何か言ったら、これでも正面は見えると言ってやる。そうしたら、いったいどんな顔をするだろう。笑いたいのを我慢して、
とりあえず今は、眠る事に集中しよう。多分そんなに時間は掛からないだろう。
少なくとも、この男の背中は、暖かいのだから。
おわり