ガウリナと言いつつ、ガウリイは、しばらく出て来ません。

 

寒かったから

 

バレンタインディとか言う日が、後3日ばかりでやって来る。

 どこかの聖人とやらが、身分違いだか何かで結婚できない恋人達を世間に内緒でこっそりと神殿において二人だけの

結婚式を挙げてやっていた、とか言う話から来ている。だからその日は、いわゆる男女の愛情を確かめ合う日で、お互いに

プレゼントを贈ったり一緒に過ごしたりする日なのだという事は、故郷で学校に通っていた頃、女友達から聞いて知っていた。

 

 2月に入り、一段と寒い日が続いた。こんなに寒いと何かあったら大変だし、あたしは寒いのは嫌いと言って、一番近かっただけの

この町にしばらく滞在する事を決めたのは、5日ほど前の事で、決してそのバレンタインとやらとは関係ない。誰かに聞かせるわけでも

ないのに、リナ=インバースは、同じ事を頭の中で反復し続ける。

「うー、寒い寒い。」

 だから今日この町の魔道士協会に呼び出されて、3日後の領主のパーティーの護衛という、やたらとお礼がいい仕事を断ったのは、

寒いからであって、決してバレンタインとは関係がない。本日何度目かの聞かせる相手のいない言い訳を呟きながら、足早に宿に

向かって歩き続ける。

 看板がなければ少し大きな民家にしか見えない小さな宿は、町の中心から少し外れた住宅街寄りに建っていて、不便でもなく

うるさくもない絶妙の位置関係、しかも主人夫婦のみで切り盛りしているので部屋数も少なく、まして物騒な客など居ようはずもない。

長期滞在には、こういう落ち着いた宿が一番いいのだと力説しても、彼女の複雑な乙女心など理解していないであろう相棒は、

「ふーん」とか「あぁ」とか気の無い返事を返すだけだった。

「ただいま〜。」

 声を掛けて入っても、小さな玄関にはカウンターすらなく、主人夫婦はたいてい奥の台所かその隣の自分達の部屋にいて、

用が無ければ出てくることも無い。無用心とかサービスが悪いといえばそうかもしれないが、長く滞在するものには、むしろ

ありがたい距離感だ。だがこの日は、いつもと違いリナの声を聞くなり、奥から女将さんが出て来た。

「リナちゃん、お帰りなさい。気が付いて良かったわ。あのね、お兄さんからこれを預かっているのよ。寒かったでしょ、

こっち来て火にあたって行きなさい。」

 小さな紙片をリナに見せながら、台所の入り口から手招きをする。確かに体は冷え切っているのでありがたく招きに

応じる事にする。すでに夕食の準備が始まっている台所は、ほっとする暖かさだった。火といっても暖炉ではなく、赤々と

燃えるかまどの火の前に陣取って、女将さんから紙片を受け取る。

 それにしても、ガウリイが置手紙とは珍しい、というより初めてではないか。

 二つ折りされただけの小さな紙には、割と綺麗な字にまともな文章で、急に仕事を依頼されたのでサイという村まで

商人の護衛で行って来るとだけ書かれていた。場所とか時間とか肝心なことが書いてない。といっても、リナもこのあたりに

詳しくはない。サイなんて村は見当もつかない。

「おばちゃん、サイって村はどこにあるの?」

 台所をせわしなく動き回っている女将さんに尋ねてみると、何故か一瞬焦ったような顔をした。

「えっ?!サイって・・・あぁ、サイの村かい。ここから西に、山を二つばかり越えた所だよ。時間かい?そうだね、男の足なら

往復で6日ってところかね。・・・リナちゃんそんなふくれっ面しないで、あたしも聞いていたんだけど、あの商人が予定していた

護衛が急にダメになって、急がないと契約した日に間に合わないってそりゃ慌てていたから、しょうがないんだよ。でもお兄さんは

リナちゃんが帰ってくるまで待つって言っていたんだけどね。しょうがないから手紙を置いて行ったんだから。」

 何故か女将さんが自分の事のように言い訳をするので、自分がそんなに不機嫌な顔をしているのかと、むしょうに恥ずかしくなって、

慌てて話を逸らした。

「別に仕事なんだからいいのよ。それよりおばちゃん、6日も帰ってこないんじゃ、勿体無いからガウリイの部屋引き払っても

いいかな。荷物はあたしの部屋に入れておくから。」

「そりゃいいけど、その間に別のお客さんが来たら入れちまうよ、それでもいいかい。」

「うん、それは別にいいよ。じゃあ、あたし温まったからもう行くわ。」

「後、少ししたら御飯だから、今日はお兄さんもいないから、あたしらと一緒に食べるかい。」

「うん、じゃあよろしく。」

 ここの宿に滞在すると決めた時、宿帳にはガウリイの名前を書いて、リナは名前だけ名乗った。それで二つ部屋を取ったので、

女将さんはとりあえず二人を兄弟という事にしたらしい。それからこの5日間リナをちゃん付け、ガウリイをお兄さんと呼ぶ。

あたし達なんて、これっぽっちも似ちゃいないだろうに、どうしたってその程度にしか見えやしないのだろうか。

「ああもう。」

 落ち込んだ思考を吹き飛ばすように2‐3度ぶんぶんと首を振る。どちらにしろ、秘密にもなっていなかった計画は

これでお終いだ、仕方ないから例の仕事でも受けて懐でも暖めておこう。ガウリイが帰ってきたら1日ぐらい休ませて

すぐに出発して、もう少し美味しそうな名物でもある町に、改めて腰を据えればいい。今はとりあえず、ガウリイの荷物を

自分お部屋に移しておこう。まあ、元々たいして無いのだから、何が残っているかわからないけど。

 

 3日後、リナは、思い切り後悔していた。

 お金が無い訳じゃないのだから、こんな仕事受けずに、宿にいて本でも読みふけっていれば良かった。

 護衛の依頼をしてきた領主のパーティーとやらは、奇しくもバレンタイン当日で、柱の影にでも潜んでいれば良いのだろうと

思っていれば、なにやら適当に豪華な部屋に連れ込まれて、メイドさんたちに着替えを要求された。

「だから、護衛に来たのであってパーティーなぞに出るつもりも必要も無いから、着替える必要なんか無いでしょうが。」

「えぇ、でもリナ=インバース様がいらしたら、お支度を手伝うようにと旦那様に仰せつかったのです。わたしたちがお叱りを

受けてしまいます。」

「そんなそっちの事情なんか知らないわよ。」

 メイドさんたちは半べそ状態で、何を言ってもお願いしますの一点張りで話にならない。その内に誰が呼んだのか、なにやら

恐そうな女中頭が現われて、魔道士協会に話は通してあると凄まれる始末だ。

 あの協会長の狸オヤジが、どうも様子がおかしいと思ったらこういう事か、など思い出しても、もう後の祭りだ。

 ここの領主は、最近父親が死んで後を継いだばかりだという話で、パーティーに有名人を呼んで箔を付けたいのだろう。

それにしても、あたしの悪名まで利用したいとは、よっぽど切羽詰っている事情でもあるのだろうか。

脅してもすかしても、女中頭もメイドも一歩も引きそうに無く、リナは、仕方なくウンザリした顔で了承して、一番おとなしそうな

ドレスを着せろ、ヒールも履かないとだけ告げた。

 それで今に至る訳だが、パーティーが始まるなり寄って来た領主は、30才くらいのまあハンサムの部類に入れてもいいが、

見るからに軟弱を絵に描いたような優男で、おまけにやたらと馴れ馴れしく擦り寄ってきて、リナの許可も取らずに招待客に

紹介しまくり、挙句の果てにリナの腰に手を回してきたので、に〜っこりと笑って思い切りむこう脛を蹴飛ばしてやった。

 すごすご領主が退散した後は、一応仕事なのだから辺りに気を配ってはいたが、それにしたって壁の華に変わりは無い。

リナの現状への怒りは、いつの間にか、ここに居ないガウリイに向かっていった。

 なんだかイライラして来た。何だって、こんな時に限ってあの男は居ないんだ。あれだって着飾って隣に居れば、そこら辺の

金持ちのお坊ちゃま達に負けはしない。折角の今日という日に、何だって一人で壁の華なんかになっていなければならないのか。

それはまあ、ガウリイは別に恋人じゃないし、一緒に居ると約束した訳でもない。仕事に行ってしまった事に文句を言う筋合いもないし、

だいたいあの男がバレンタインなんて知っている訳も無い、何より何も言わなかったのは自分だ。あぁもう、やめやめ、仕事に

来たんだから、集中する。多分狙われているというのは、口からでまかせだろうけど、それでも貰う物は貰うのだから、仕事仕事。

 愛らしい壁の華が、一人で百面相をしていたと思うと、いきなり両腕を上下にぶんぶんと振りまくって、はあっと大きく息を

ついたと思ったら、急に恐い顔をして辺りを伺いだす様子をみて、声を掛け様と狙っていた若い男達が、一人また一人と

離れていったことは、リナの知らないところである。

 

 面白くも無いパーティーは、夜半すぎにようやくお開きになり、何事も無くリナの仕事は終了した。招待客達も帰り

領主の館の門が閉ざされて、メイドの一人に案内されて、リナは、自分にあてがわれた控え室に向かって歩き出した。

領主や魔道士協会への怒りはともかく、今は、この格好から開放される事が何より先決だ。

 とっとと着替えて報酬を受け取って早く宿に帰ろう。こんな時間に帰って、女将さんを起こすのは気が引けるが、ちゃんと

遅くなる事は告げてきたし、夜も明けきらないうちから剣を振るために起きだす男も居ないから、たった一人のお客のあたしが

明日は朝寝坊をする事は決定だし、まあいいだろう。そういえば化粧を落としたいから顔ぐらい洗わせてもらおう。

 などと考えていたリナがメイドに案内されたのは、先ほどの控え室ではなく、2人のメイドが待ち構えていた、豪華な浴室だった。

床も天井も大理石の浴室に、二人ほどは入れそうな大きめのバスタブに溢れんばかりに注がれているお湯からは、薔薇であろう

香料の匂いがして、精神的に疲れていたリナには抗いがたい誘惑に感じられた。

「お手伝い、致します。」

と、当然のように近づいてきたメイドを、リナは、手で制した。

 さすがにリナも、この状況をただの親切と取れるほどお人よしでもなく、と言って相手の下心をわかった上でそれに乗って、

後で何もかも吹っ飛ばして知らぬふりを決め込むほど、子供でもなかった。

「お風呂は結構ですから、あたしの服を持ってきて頂戴。」

 今回は、相手に反撃の暇を与えるつもりは無い。何か言いそうなメイドたちを、強引に目で制した。

 

 

 ほのかに薔薇の香りが漂う豪華な浴室で、迫力のある40代の女中頭と、頭一つばかり小さい10代のドレス姿の少女との

睨み合いは、小さな少女に軍配が上がった。

 数時間前には、メイドたちの泣き言を聞いて着替えてやったものの、今度ばかりは、このあと彼女達が責任を取らされて

失業しようとも、あたしが犠牲になってやる義理はない。リナは、女中頭とメイドたちを迫力でねじ伏せて自分の服を取り上げると、

全員を浴室から追い出した。何しろ、先ほどの領主の顔を思い出すと、ところ構わず攻撃呪文をぶっ放したい衝動に襲われるので、

とりあえずバスタブを洗面器代わりに顔を洗って気を落ち着けてから、自分の服に着替えた。ドレスを着たときも、こっそりと

首の後ろにぶら下げて髪で隠していた呪符を身につけながら、軽く深呼吸をした。

 バーンと派手な音を立ててリナが扉を開けると、女中頭が一人で待っていた。領主のところへ案内するように告げると、

無言で歩きだした。薄暗い廊下を歩きながら、もしも寝室なんぞに案内したら、容赦なく一発かましたると、適当な攻撃呪文の

候補を頭の中で選別していたが、着いたのは屋敷の2階にある、以外にこじんまりした領主の執務室だった。

 椅子に座ったまま相変わらずニコニコと愛想笑いをしてくる領主だが、リナは、すすめられた椅子に腰掛ける事はせずに、

わざと不機嫌そうに早く宿に戻りたいので報酬を頂きたいと用件だけ述べた。

「こんな夜遅くに若い女性を一人でお返しするなど出来ませんよ。今夜は部屋を用意させますので、どうぞ当家にお泊まりください。」

 狙われているから護衛に雇いたいと言っていたのは、どなたでしたかと皮肉の一つも言いたいところだが、とりあえず呑みこんだ。

こんな仕事でも、魔道士協会経由の仕事なのだから、後々面倒な事になるのは、できるだけ避けておきたい。最大限の努力で、

何とか穏便に話を進めることにした。

「いいえ、連れが宿で待っていますから。心配させるといけませんので、これで失礼致します。」

「おや、お連れの方は、お仕事で出かけられたと聞きましたが。」

「・・・よくご存知で、いらっしゃいますね。」

「それは、大して大きな町ではありません。領内のことは、把握していてこその領主ですから。」

 先ほどからの愛想笑いとは明らかに違う種類の笑いを顔に貼り付けて、立ち上がってリナに近づこうとした領主は、彼女にものすごい

不機嫌な顔で睨まれて、1歩進んだだけで執務机に手を付いて立ち止まった。

「ははは・・・ご機嫌がお悪いようですね。まあ、あなたのような可愛らしい方を、今日という日にお一人にするような事は、

私には考えられません。」

 ・・・一人で悪かったわね。え〜え、どうせガウリイは、気は利かないし愛想は悪いし、放っておけば一日中剣ばっかり

振っているような剣術バカよ。

領主の言葉に、リナの脳内に先ほどの苛々がますます強く蘇ってきた。

「失礼ですが、少し調べさせていただきました。もちろん、護衛をお願いするためにですが、余計な事とは思いますが、

あなたのような高名な方がご一緒するのに、そのお連れの方は少々相応しくないと、思いますが。」

 本当に余計なお世話だ!と思わず怒鳴りつけたくなる気持ちを抑えつけるために、魔道士協会魔道士協会と唱えて耐え切った。

それにガウリイが帰ってくるまで、少なくともあと3日はこの町で過ごすしかないのだから、面倒を起こしては居づらくなるだけだ。

リナの無言をどう解釈したのかは定かではないが、領主は調子よく話し続けた。

「いえ実は、魔道士協会長は私の叔父なのですが、叔父からリナ=インバース殿が滞在していると聞きまして、ぜひとも

お目にかかりたいと思いまして、護衛の仕事お願いした次第です。」

 リナの眉間に、縦皺が寄ったのに気がつかず、領主は机の横から離れて、窓を開け放った。凍てつくような風が吹き込む先は

町の西側、視線の先には黒々とした山が連なっている。

「あの山は、私の領地の一部でして、まあこれといった特徴のないつまらない山だったのですが、最近とある鉱脈があるという

仮説がありまして。まだ調べさせている最中ですが、これが本当ならとんでもない騒ぎになるはずでして、いえそこで

高名な魔道士であるあなたにご相談をと思いまして・・・」

「鉱山なら、魔道士では畑違いかと思いますが。」

「もちろん、採掘などのお話ではなく、それに伴う諸々の事情の方です。ぜひあなたのお力をお借りしたいのです。

何しろその鉱脈というのは・・・」

 話しながら、リナの隣に並び立とうとしたので、腕を組んで睨みつけた。見たところ腕が立つようには見えないが、

用心にこした事はない。領主は数歩離れたところで、あたりを伺う素振りを見せてから勿体つけてこう言った。

「・・・何しろその鉱脈というのは、オリハルコンですから。」

 リナの眉間に2本目の縦皺が入った。それはまた、まゆつば物とでも言えばいいのか。言うにことかいてそれか・・・、

もし万が一そんなものが本当に見つかったら、あちらこちらの大国が介入してきて、このあたりは大混乱だろう。

リナが一人で如何こう出来るレベルは超えている。適当に楽しくやっていきたいのなら、そんなものは、知らぬ振りを

決め込んでおくのが、利口なやり方だろう。しかし、領主の話はまだ続く。

「如何ですか、それは私も簡単な仕事とは思っておりませんが、あなたの協力があれば成し遂げられない話では有りません。

私とあなたで莫大な富と名誉を手に入れてみませんか。」

「・・・」

 おいおいおい、とでも言えばいいのか、リナは、危うくため息をつきそうになった。少し前のリナなら、とりあえず

仕事の部分だけは、もうちょっと詳しいところを吟味してから、乗るかどうかを決めてもいいかもと、思ったかもしれない。

ダメならダメで、この男に責任を被せて逃げればいいだけの話だ。しかし今のリナは、そんな誇大妄想狂の与太話に、

しかも余計なおまけを期待している男と、つるむ気は毛頭ない。

「すみませんが、連れが戻りましたら早々に出立しますので、今の話は聞かなかった事に致します。」

 多少は色よい返事を期待していたのか、一瞬だけ意外そうな表情を見せた領主だが、すぐにそれまでどおりの、本人が

どう思っているかは知らないがリナから見ればいやらしい笑いを浮かべて、窓の外の山を指差してリナに確認した。

「お連れの方は、確かあの山を越えて行かれたのですよね。」

「そう聞いていますけど。」

「いえ、あの山は、最近よからぬ噂が立っていましてね。何しろあの山道は正規の街道ではありませんので不逞の輩が

入り込んでいて、討伐のために何人か山に入れてありましてね。迂回路を使うように領民には言ってありますが、まあ、

知らずに通った行商人やその護衛の傭兵あたりが、間違って斬られる事も有るかもしれないという事ですよ。」

「仰っている意味が、よく解らないんですけど・・・」

 リナの声が震えているのを決定的に勘違いし、笑いながらゆっくりと彼女に近づき、自分の手の内を曝してしまった。

「あの山に私の許可無く入ったものが、無事に帰って来る事は無い、という事ですよ。どこの誰とも知れない傭兵など、

あなたに相応しくありません。いま一度、私の提案を考え直していただけませんか?」

 勝ち誇ったような顔をした領主が、リナの前に到達したのとほぼ同時に彼女の呪文が完成していた。

「振動弾!」

 増幅をかけなかったのは、情けと言うよりは多少残っていた理性という奴である。それでも開け放たれた窓のすぐ下を

直撃したそれは、壁を抜き振動で窓枠を階下の庭に落とし、大人が立ったまま通れるほどの大きな穴を開けた。

「ぁ・・・・」

 すぐには事態を把握仕切れない領主は、大口を開けて壁の大穴を見つめていたが、やがて青を通り越して白い顔色になり。

その場にへたり込んだ。なんだ、やっぱり見かけどおりのはったり野郎か。魔道士協会長はこいつの叔父だと言う事だし、

義理も無くなったはずだ。リナとしては、座り込んで怯える大の男にこれ以上構っている気は無い。腕を組んで斜に構えると、

不機嫌な声で用件を述べた。

「早く宿に戻りたいので、お約束の報酬を頂けませんか。」

 

 リナが立ち上がるのも困難な領主から報酬をもぎ取った頃には、騒ぎを聞いて屋敷の人間が部屋の前に集まってきた、

そんな連中に構うのも嫌になって、自分の開けた壁の穴から浮遊で庭まで降りて、庭を横切り再び浮遊で塀を越えた。

このまま翔風界でガウリイを探しに行こうかと考えもしたが、ハッキリした場所もわからないうえ、あの山の中の暗闇で

探し出せるとも思えない。仕方なく、夜の町を一人宿に向かって歩き出した。あの領主が、魔道士でも雇って魔族でも

呼び出していない限り、魔力剣が無いからといって、そこらの普通の人間相手なら、ガウリイに滅多な事などある筈が無い。

だから大丈夫だ。

自分に確認するように呟きながら、リナがようやく宿に辿り着くと、深夜だというのに宿の前には、不自然な人だかりが

出来ていて、リナの姿を確かめると潮が引くように暗闇に消えていった。

嫌な予感を感じながら、扉を開けると女将さんが、気まずい顔で待っていた。リナが遅くなって申し訳ないと告げると、

今までに無い緊張した様子でリナに確認した。

「リナちゃん、リナ=インバースって、名前なのかい・・・もしかして、あのリナ=インバースかい。」

 ああそうか、リナは、がっくりと頭を垂れた。領主の奴に招待客に紹介されまくってしまった。大きくは無い町の事だ、

あっという間に知れわたったようだ。そうですと認めると、ザーっと青い顔になって、あたしは知らなかった、とか何とか

言い訳を始めたので、今日は疲れたのでまた明日にしてくださいと遮って、部屋に引き取った。

 冷え切った部屋で、着替えるのも億劫になり、装備だけ外してベッドに潜り込んだ。疲れているのに気が滅入って眠れそうに無い。

 

折角、静かに滞在しようと、ガウリイの名前を宿帳に書いたのに、これで台無しだ。有名になりたいと、あちこちで本名を

名乗りまくった、ちょっと前の若い自分が恨めしい。

それに、あの女将さんの様子だと、領主があの山で邪魔な相手を始末している事をある程度を承知の上で、ガウリイに仕事を

紹介したのだろう。いや、ここで商売をしている以上あんな領主でも睨まれればやっていけない。通りすがりの兄妹の運命より、

自分達の生活が優先されるのは、当たり前な事だし、そこまで他人の良心に期待するつもりは無い。解っているが、やっぱり気が滅入る。

明日の朝になったら、この宿を出て、ガウリイを追いかけよう。八つ当たりだろうと何だろうと、見つけたら、つまらない同情で

口車に乗って、このあたしに心配をさせた事に文句を行ってやる。

服を着たままベッドに入ったというのに、深夜のせいかやたらと冷え込む。

リナは、たいして厚みの無い宿の掛け布団を体に巻きつけ、ベッドの端によって隣に一人分の空間を空けた。

ここ最近、野宿の時は、何時からかは忘れたが・・・ガウリイの隣に横になる様になってからは、何も言わずに焚き火とリナの反対側で

風避けになってくれている。そんなことを思い出して、心細くなった訳では決して無い。気が滅入って寒いから、風除けが欲しい

だけなんだから。

誰か聞いている訳でもないのに、今更一人でそんな言い訳を口にしながら、目を閉じた。

 


 

 寒いというより、鼻から入る空気が冷たい。

そんな感覚で、リナは目を覚ました。いや正確には、いまだに目を開けてはいないが。昨夜は、寒くて眠れないのではないかと

思っていたが、いつの間にか眠っていたらしい。

 意識が寒さに向かうと途端に寒いという感覚が戻ってくる。

 冷たい空気が入らないように、掛け布団を頭から被るため引っ張り上げようとしたが、まったく動かない。2度目の感触で、

昨夜のあまりの寒さに自分の体に巻きつけた事を思い出しはしたけれど、これ以上こんな空気を吸っていたら、きっと肺まで

凍り付いてしまう。らしくない発想に気付きもしないで、3度目を成功させるために寝返りをうった。

 ぼすっとやわらかい音を立てて、リナの体は、巻きつけている布団ごと何も無いはずの空間を占領している大きな物に当たった。

 ありえない。そう思いながら、それが何かすぐに判った上に、たいして慌てているでなく、特に騒ぎ立てようという気持ちも

湧いて来ない、そんな自分が、とりあえず一番ありえない。

 判ってはいるが、確認のためとしぶしぶ開いたリナの目に入ってきたのは、板戸の隙間から差し込むすっかり昇りきったらしい

太陽の光を反射している、見慣れた金髪だ。

『誰が、乙女の隣に寝てもいいと許可を出した!!』

 ここは、怒鳴りつけてもいい場面だと思いはしたが、結局彼女の口は開かなかった。ガウリイの部屋を引き払ってしまったのは

リナだし、何よりこの寒さに床で寝ろと言うのは、いくら何でも気が引ける。

 寝返りは諦めて、でかい背中をグイと押して元の体制に戻る。一連のリナの行動で目を覚まさないはずは無いのに、まったく

動こうとしない。どうやら、ガウリイもベッドから出る気はないようだ。

 まあいいか、服を着たまま布団に包まる自分の横に、やはり服を着たまま野宿用の毛布を被っている男が横になっているだけだ。

 状況を考えるとかなり強引だが、別に何時もの野宿と変わりはしないと思うことにした。

 風除けが帰って来たのなら、折角なのでもう一眠りする事にしよう。久しぶりの安心感の中、もちろん多少の緊張はあるが、

差し込む太陽の光は無視して、2度寝するために目を閉じた。

 

 太陽が西に方向を変え始めた頃、ようやく起きだした二人は、添い寝の件は、とりあえずお互い暗黙のうちに不問に付す事として、

小さな宿の食堂で朝食兼昼食を取っていた。

 昨日まで気さくだった女将さんは、もう極悪非道なお尋ね者でも見るような怯えぶりで、一言も口を利かずと言うか利けずに、

処刑台に上る罪人のような悲壮な表情で給仕してくれた。リナは、自業自得でもあると放っておいたが、事情を知らないガウリイは、

のん気な口調で、

「オレが居ない間に、こいつが何か迷惑でも掛けましたか?」

などと聞くものだから、ますます青い顔をして何度も謝り倒して、慌てて奥に引っ込んだきり出てこない。おかげで、

穏やかな昼の食堂は、微妙な空気に包まれてしまった。

 ガウリイの疑いの眼差しが面白くないので、リナは、食事の手を止めた。

「先に言っておきますけど、あたしは別にひと様に迷惑を掛けるような真似はしていませんからね。それよりあんたこそ、

いったい何処で何をしていたのよ。」

「何って、仕事だって手紙を書いただろ。まあ、雇い主が逃げちまったから金にならなかったけど。」

 食事をしながら聞き出した話によると、この宿の食堂で、行商人風の男に護衛の仕事を持ちかけられたのは、3日前の午前中で、

出立するなら明日の早朝にしないかと断ったものの、どうしても納期に間に合わないと困ると泣きつかれ、仕方なく昼過ぎの出となった。

依頼人に合わせて歩いていたら、2晩目に例の山で野宿する事になり、まるで見計らったように、奇妙な6人ほどの男に襲われたと言う。

「妙って何よ?盗賊じゃないの。」

「それなら別に珍しくないだろ。太刀筋もまともだったし、あいつら何処かの雇われ騎士か兵士だ。」

「・・・でどうしたの、斬っちゃったの。」

「2人斬ったが、色々聞かなきゃまずいとも思ったんで一人だけ張り倒したら、他の奴らは、逃げた。それに、どういう訳か

依頼主も逃げちまったから、仕事は、無しだ。それで、そいつから丁寧に事情を聞いたら、ここの領主にオレを襲うように

頼まれた、なんて言い出すし、何だか訳がわからん。」

 あの領主、やっぱり2‐3発ぶん殴っておけばよかった。リナが昨夜の領主のいやらしい笑いを思い出して、拳を握り締めて

いる隙に、ガウリイは、一人で食事を再開していた。

「ちょっと、何一人で食べてんのよ。それにどうして、そいつを連れて帰って来なかったのよ。証人が居ると居ないじゃ、

色々と違うでしょうが。」

「オレは、昨日は何も食ってないんだ。しょうがないだろう、誰が何考えているか判らないのに、ここにお前をおいて行っちまったから、

とりあえず急いで帰って来たんだよ。」

「・・・・」

 いやそれは、確かに2日近く掛けて行ったところを1日で戻ってきた訳だし、心配されているのは、よくわかるし素直に嬉しい、

まあ真顔で言ってくれたらだが。そんな風に料理を掻き込みながら言われても、正直いまいちだぞ。

「で、お前さんの方は、どうなんだ。いったい何をやらかした。」

 先ほどの疑いの眼差しと違う、当たり前の顔で普通にやっただろうと言われると、リナは、実は見ていたんじゃないのかと

勘繰りたくなる。そもそも、どうして何かやった事が前提かな。いや実際やったと言えばそうだけど、昨日の件はあたしの

責任じゃない。だから報告義務は無い、と一人で結論付けた。

「あたしの事はイイの。ほらさっさと食べちゃってよ。これから出かけるんだから。」

「食べてないのはお前だろ。それに出かけるって、何処へ行く気だ。」

 ああそうかと、両手にナイフとフォークを握り直しながら、いたずらを思いついた子供のような、もっとも彼女の所業を

知るものならば凍りつくような、笑顔をにまーっと浮かべた。

「決まってんでしょ。領主のところにあんたの3日分の仕事料と、今回の事に対しての慰謝料というか迷惑料をぶん取りに行くのよ。」

 台所の方でガシャンと何か割れる音がしたが、リナはとりあえず無視を決め込む。ただこれ以上は、女将さんも気の毒なので、

ここは引き払っていく事にしよう。

「領主のところって、証拠が無いだろ。」

「ふふん、このリナ=インバースにぬかりは無いわ。昨夜の内に領主の奴から、自白は取ってあるのよ。」

「お前って奴は、一人にすると何してんだか。」

 ガウリイがこめかみのあたりを抑えながら、ボソッと呟いたのが、ちょっとばかり、昨日から上がったり下がったりを繰り返している

リナのご機嫌を掠めた。そうよ、あんたがあたしを一人にしたのが悪いのよ。

「何よ、あんたが、つまらない所で騙されて居なくなったのが悪いの。それにいったい誰が、乙女の隣に寝てもいいと許可を出したのよ。」

「それはないだろ。夜中に帰ってくれば、この寒いのに、俺の部屋はないし空き部屋もないし。しょうがないからお前の部屋に行ったら、

服着たまま寝てて隣が空けてあるから、いいかと思うだろ。」

「あのね・・・あれは、寒かったから服を着たまま布団に包まっただけで、それに風除けのため・・・・」

 リナは、危うく白状しかけて、とっさに口をつぐんだ。ごまかしたいのはやまやまだが、今さら話題も顔もそらせない。

「だから、帰って来ただろ。ほらいいから早く飯食っちまえよ。出かけるんだろ。」

 相変わらず、全部ばれているのか、まったく解っていないのか、ガウリイの本心はつかめない。何か言い返したいが、頬が熱いのが

解るので顔を上げる事すら出来ない。それでも、自分かガウリイかどちらに対してかは別にして、言わずにいえない一言だけは口にした。

 

「・・・寒かったから、なんだからね。」

 

おわり

 

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