5月23日はキスの日だったので、合わせて書こうと思って今さらになりました。

まあ、乗り遅れるのはいつもの事か。

 

 

おやすみなさい

 

「そうだ、ガウリイ、ちょっと屈んでよ。」

 

 春というには日々の日差しが強すぎて、初夏というには朝晩が肌寒いこの時期、街道沿いの小さな町に

ふらりと現れた絵にかいたような凸凹コンビは、旅人目当ての宿がいくつも立ち並ぶこの通りで一番

大きい宿屋に微塵の迷いもなく入ってきた。小さい方の栗色の髪の女が対応した宿の主人に一番最初に

聞いたことは、部屋代でも食事の事でもなかった。

「お風呂、有る?」

 

「はーっ…生き返った。やっぱりお風呂に勝る癒しはないわね。ちょっと部屋代が高いけど、ここの宿に

してよかったわ。」

 ここ何日か運が悪いというのか、風呂のない宿や仕事など色々と重なって、お風呂に入れないでいたので

感動もひとしおだった。無理すれば何とかならない訳でもなかったが、この気温では、タライに張ったお湯や

まして水浴びなど彼女には考えられなかった。

「でも、お風呂場の使用が時間制で、そのうえ浴槽1杯のお湯代が別料金って少々ぼっているような気も

するけど・・・まあ、このあたしの交渉で時間延長を勝ち取ったし、そのおかげであたしの後にガウリイも

入れたんだから、良しとしよう。ご飯もそこそこ美味しかったし、たまにする贅沢は心の栄養よね。」

 しかし何より、剣の稽古の後に毎日平気な顔して水浴びする相棒より自分の方がちょっと汚れているのが、

やっぱりちょっぴり嫌だった、という事を思い出すのは止めにしておくことにした。

 部屋に戻って荷物のチェックや整理をして、思いつくままに呪文になりそうな言葉などを書き留めたりして

いると、隣の部屋の戸が開く音がした。ここでリナはある事に気が付く。ガウリイは、お風呂から戻って来て

から出て行ったのか、そうでなければ何でこんなにお風呂が長いのか…追加料金…まあそれは、いいや。

ガウリイの部屋側の壁をこんこんと2回たたいてから廊下に出て行った。

「ガウリイ、どこで何してたのよ。」

「あぁ・・・」

 ドアを開けたままの姿勢でリナを待っていたガウリイは、腰に剣を差していて、まだ乾いていない髪は

すっかり冷え切っていた。

「もう、何であんたってば、お風呂に入った後にまた剣を振りに行くの。」

「ちゃんと汗は流してきたぞ。」

「お水で、でしょう。この寒いのに何やっているのよ。」

「別にそんなに寒くないだろう。」

「せっかく、お風呂に入ってぽかぽかなのに、わざわざ冷たい水をかぶることないと思うけど、稽古は

わかるけど、常識ってものがあるじゃないの。」

「…お前に常識とか言われても…それに動いたから寒くないぞ。お前も寒いなら剣でも降ってきたらどうだ。」

「夕方にやったじゃない。あんたと違って体力には限界ってものがあるのよ。それに、あんたってなんて言うか

常識というより一般的な生活ってやつが身に付いてないのよね。」

「一般的な生活って・・・それこそ、こんな生活しててそんなこと言われてもな。」

 こんなの所でちらりと辺りを見回すしぐさを見せるガウリイにふとリナも我に返る。ここは宿の廊下だった。

ふうっと息を吐いて、改めて自分より相当高いところに有るガウリイの顔を見あげた。

「まあ、こんな所で言っていてもしょうがないわよね・・・そうだ、ガウリイ、ちょっと屈んでよ。」

 何かいいことを思い付いたとばかりに、顔の横でおいでおいでと手を振る。

「えっ…なんだよ。」

「いいから、だいたいあんたの背が高すぎるのよ。」

「お前が小さいだけだろうが…」

 文句を言いながら膝と腰を曲げて、顔をリナのそれと同じ高さまで下げてくれた。

小さな手を広い肩に添えて顔を近づけて彼の右ほほにそっと触れるように唇を当てた。

「おやすみなさい。」

「…えーっと、なんだ?

せっかくお風呂に入って自分にしては少々大胆な行動に出たと思っていたのに、間の抜けた返事にがっかりした

ように首を傾げた。

「あのね、お休みのキスでしょう。するでしょ家族とか、えっと親しい人とは、それとも何?あんたの国には

そんな習慣はなかったの。」

「いや,あるけど。」

「じゃあ、いいでしょう。それより、キスされたら返すものでしょう。」

 そう言って自分の右頬に人差し指を当てた。

「・・・ああ。」

 一瞬の間をおいてリナの左ほほにガウリイの指が来る。右頬に来るはずのそれに合わせてそっと目閉じると、

右ほほにも左と同じ感触…えっと思う間もなく唇に触れてきた。

「!!?」

 驚きの声は何とか飲み込んで目を空ければ、見慣れた顔はいつもの高さに離れていく。

「おやすみ。」

「お、おやすみなさい。」

 それだけ何とか絞り出して、ぐりんっと回れ右してガウリイの顔も見ずに自分の部屋に戻ってきた。

 ドアを閉めれば隣の部屋のドアが閉まる音も同時に聞こえてきた。パニックになりそうな頭を落ち着かせる

ために深呼吸して、考え直す。今のは、やっぱりあれよね、されちゃったのよね。

いやいや、あの程度のキスならば、あたしだって父ちゃんや母ちゃんや姉ちゃんとだってしていたのだ。

きっとそんな意味に違いない。この考えが正しいかどうかは、ガウリイの顔を見なかったので確認できないが、

そうだと思うしかない。とりあえず断りもなしに乙女の唇を奪った事に対する多少の怒りは横に置いて

おくことにする。

一人で納得した事にして落ち着きを取り戻し、ごそごそとベッドに潜り込んだ。

目をつぶると、その気もないのに先ほどのわずかな感触が唇に甦ってくる。もしかして思い付きで

とんでもない事をしてしまったのかもしれない。

 

明日からどんな顔して『おやすみなさい』を言えばいいのだろう。

もちろん翌日の「おやすみ」どころか「おはよう」から、頭の上から無言のプレッシャーが降ってきたというのは、

当たり前の話・・・

 

おわり

 

Menu

inserted by FC2 system